サウナにて
サウナが大好きだ。
ほんとに整う。
身体も整うし、心も整う。
未消化の感情は残るというけど、それは身体のどこかと繋がっていて、リラックスして自分の中が静かになると感じることができる。
サウナー水風呂ー休憩のセットで
イスに座って目をつぶってゆったりと休憩しているとき、その未消化の感情とか感じがそこにあるのを感じることがある。
それは大抵は悲しかったとか、辛かったとか、罪悪感とか、こわかったとか、がんばったとか、我慢した、というような感情で
それが出てきたらゆっくりとたただ感じる。
あ〜、めちゃくちゃ大変だったなぁ、、とか。
そうするとその感情を感じた時期の思い出が出てきたり、懐かしい顔が浮かんできたりして
その気持ちそのものを慈しめるように見れたりする。
サウナに行くようになってから、わたしは人生全体が整ってきて自分を大事にできるようになっている気がするのです。
(わからないけど、この時間がとても気に入ってる)
サウナに行って後悔した日はない!
今日はそうやって感じる感情って自分だけのものじゃない周りの人も、そして全世界の全ての人も感じる同じ感情なんだっておもって感じてみた。
例えばみんな罪悪感を知っているし、わかってもらえない辛さだって知っている。
みんなそうやって生きているのだなぁと、
そう知ることは寛容さにつながる。
今日は浮かんだ感情を感じていたら父が出てきた。(父はずいぶん前に亡くなっているのだけど)
父と母と小学生のわたしとまだ赤ちゃんくらいの弟で中央公園に遊びにいった時のことが浮かんできた。
小学校時代のわたしはジーンズの短パンをよくはいていた。
その日はとてもよいお天気で、光がふり注いでいるようなbright blessed dayって感じの日で
赤ちゃんだった弟のほっぺは赤くてまだマシュマロみたいにほちゃほちゃだった。
父の笑顔。
あの頃の父と母はまだ若いカップルだった。
30代前半か中頃か、、今の自分よりずっと若い。
こんな風に一組の若いカップルとして両親を感じられたのは初めてだった。
あの日2人は幸せだったのだなと感じた、そしてわたしも。
両親はわたしが産まれてすぐに一度別れていて、わたしは赤ちゃんのときから小学校で両親が復縁するまで祖父母に育てられた。
小学校から一緒に暮らすことになった両親は厳しく昔ながらの体罰や叱責がとても辛かった。暗黒の子供時代という印象で、思い出すことは辛かったことばかりだったけど
身体が弛むといい思い出もたくさんあったことに気がつく。
その後、祖父母も若いカップルとして感じてみた。祖父母には父とおばちゃんと、もう1人子供がいたのだけどその子は病気で赤ちゃんの時に亡くなっている。
祖父母は子煩悩だった。若い夫婦時代に大きな絶望を味わったのだと感じた。
おじいちゃんは優しい優しい人だったからきっと辛かっただろうな。
わたしが小さい頃お仏壇にはいつも哺乳瓶にミルクが入っているものと、赤ちゃん用のお菓子がたくさんお供えされていた。ボーロとか、牛乳せんべいみたいなやつ。それは祖父母の亡くなった赤ちゃんのためのものだったのだけど
それをわたしは我が物顔でチュパチュパ飲み、お菓子もあるだけばくばくと食べていた。何の迷いもなく。それはわたしのものだった。
でも、きっとそんな姿に祖父母は癒されていたのではないかと思う。
彼らの赤ちゃんと重ねて見ていたのかな。
父とおばちゃん(父の妹)は子供時代とても優秀だったそうで、うちは貧乏だったけど子供たちの活躍が誇らしかった〜と祖母がよく言っていた。父は新聞にも載ったのだと。
子供たちの成長を喜ぶ慎ましい若い夫婦を感じていた。
みんなの人生を感じていたら、ふとわたしは自分のこの人生を今生きているのだなと思った。
あるお天気のいい日の公園で遊んだ家族。
そこにわたしはいたのだ。守られて。