永武幹子さん、中山ともさん、わたし@もっきりや
先日の永武幹子さんのピアノが素敵すぎたので、ごく個人のつぶやき。(長いです)
お客様の恍惚の表情や、場の濃密な空気、集中と歓喜、解放、というのは前に見たことがあって
それは能登のモントレージャズフェスのアンコールで出演者全員でステージに立った時。
自分たちの演奏は最初の方におわっていて、
最後の演奏はその時だれだったかな、、
ステージの上から最後のステージを見終わったお客様の顔を見た。
素晴らしいステージを観た後って、みんなこんな顔をしているのか、、、と思った。
真夏の通り雨に笑ったままずぶ濡れになったみたいな顔。
先日のもっきりやでも、そんな表情、空気があって、
奇跡の場に居合わせたもの同士の高揚感、みんなの全細胞が嬉しさにふるふるしてる振動があった。
永武さんは特別な気概も鼻息もなく、すんっと普通にされていたのだけど。
ものすごい演奏を聴くときに、なんかすごい圧倒されて凄すぎて、なんかよくわからないけど、とにかくうまかった、って時もある。
地元の音楽教室の発表会を観に行って、おばちゃんがずっと習いたかったんですといってギターを抱えて一生懸命弾くムーンリバーが心に沁みて涙する事もある。
どっちが良いとかではなくて、その2つはなんとなく自分の中では違うベクトルのものだった。F1のレースとおばあちゃんのおにぎりみたいに。
それはもちろん受け手の音楽的インテリジェンスがあるかどうか、とかも大きな要素かもしれないけど。
でもそんな線引きはないのだ、という発見だった。
永武さんのピアノはすんごい。
誰の心も逸れることはない本質的な超一流な何か。
と同時に感傷とか、思い出とか、田舎道とか
心の奥におりていくハシゴが出てくる。
そうか、飾ってないのか。
すごい面白い漫画に夢中になって、声をかけられても気づかない時みたいにお客さんが集中して、
なんか人生っていいね〜!悪くないね〜!って思えるような後味。
ピッチとかリズムとかスイング感とかフレーズとかセンスとか、いろんな要素が音楽にあるとして、
これが足りないからそうするべきだ、ではなくて
音楽を愛しているから自然とそうなっているんだ、、、って感じ。キレキレだけど自然で優しいの。
美しい赤ちゃんの目みたいにそこに在って
全ては素晴らしく躍動しているから
最高なんだけど、なんだか自分が見えすぎて気絶しそうになった。でくのぼう化してバタンと倒れそうになった。
けどなんとか踏ん張って歌いました。
ベースの中山ともさんはどんな気持ちだったかな。
最後の彼女のソロピアノは解き放たれた自由な魂がもっきりやのベーゼンドルファーを生き返らせ、木の空間を感動と喜びで充していた。
目に見えない素晴らしいエネルギーに触れることができた。
もっきりやは満員御礼!聴きにきてくださった皆さま、本当にありがとうございました✨✨
#もっきりや #永武幹子 #中山とも